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 ※毎週金曜日配信 2007年4月20日 第249号
経済論評
『「コンピューターの歴史と日本人の思考」』
 大場 充 広島市立大学情報科学部教授


 日本の歴史的においても、偉大な科学者、数学者、哲学者は、数多くいます。江戸時代の数学者、関孝和のようにソロバンで現代の高等数学の問題を解く方法を考え、和算を進歩させた人もいます。しかし、西洋の歴史に残る数学者や哲学者の一部の天才と、日本の天才の間には、問題のとらえ方に基本的な違いがあるように思えます。
 1700年代後半の、産業革命で経済が潤ったイギリスに生まれ育ったチャールズ・バッベージもそのような天才の一人だと思います。バッベージは、経済学の父と呼ばれているアダム・スミスと同じ時代の人で、スミスと同じケンブリッジ大学で研究と教育に携わった数学者でした。興味深いことに、スミスの「労働価値説」の基礎を数学的に考えたのもバッベージだったそうで、彼の手になる労働に関する数学的考察の本が残っています。
 バッベージは、歯車で動くコンピューターを作ることに、一生を懸けたと言ってもよい人でした。幸運にも富の蓄積があった当時の宮廷は、彼の研究に必要な莫大な資金を彼に与えたそうです。しかし、当時の機械加工技術では、彼のアイデアを実現し、本当に動くコンピューターを作ることはできませんでした。個人生活における不幸の連続と、度重なる失敗の連続で、失意のうちに天才は、その一生を終えました。あと100年遅く生まれていれば、彼は世界中から称賛される業績を残したことでしょう。
 私の勤務していたIBMのニューヨーク州にある研究所の玄関には、バッベージの設計した機械式コンピューターのレプリカが展示されていました。それは、まるで何千という歯車の怪物のようなものでした。バッベージは、このレプリカになっている機械式コンピューターをさらに進歩させ、まるで人間のように判断をしながら考える機械を作ろうとしていました。
 この、当時としては一見突拍子もない考えも、実はバッベージよりも200年ぐらいさかのぼった、まだローマ教会がヨーロッパ世界を支配していた時代に、何人かの哲学者たちによって考えられていました。その一人が、有名なフランスの哲学者であり数学者でもあったデ・カルトです。デ・カルトは、「人間は精密に作られた機械である」という妄想を抱いていました。もちろん、当時、そのようなことを大っぴらに公言すれば、教会の断罪にあい、火あぶりにされていたでしょう。
 フランスの医者でもあったラ・メトリは、後に「人間機械論」と題する書物を出版して、教会の断罪を受け、火あぶりの刑に処せられました。20世紀の中頃、「サイバネティクス」の著者である天才ウィーナー博士は、同書の中で、ラ・メトリの人間機械論について言及しています。デ・カルトもラ・メトリも、「人間は神が創った精巧な機械である」と言う魅力的な仮説の虜だったと言えるでしょう。
 もしその仮説が正しいとすれば、人間も、「人間と同じように、考え、話す、精巧な機械を作れる」と言う論理的な結論を得ます。だとすれば、人間のどの部分の「まね」をするような機械をつくれば、「考える機械」を作れるのでしょう。デ・カルトは、既に、人間は脳で考えていると予想しています。人間の脳の構造の解明は、ずっと後のことになりますが、頭に大怪我をすると、話ができなくなったり、字が読めなくなることは、既に経験的に分かっていました。
 実際に、最初に考える機械を作ろうと試みたのは、フランスの哲学者であったパスカルでした。逸話によれば、パスカルは、会計士だった父親が膨大な計算で苦しんでいるのを見て、高速に、楽に、計算をさせることができる機械を作ろうと思い立ったそうです。既に、日本のカラクリ人形のような自動機械や、オルゴールが作られていました。その技術を応用すれば、できると思ったようです。パスカルは、実際に何台かの手動式加算器を製作したそうです。現存しているものも、レプリカもあります。
 日本人や中国人の数学者や科学者に、優秀な人はたくさんいましたが、「機械に計算をさせよう」とした人はいませんでした。精巧なカラクリ人形や、万年時計は作れても、その技術を応用して、計算機を作ろうという野心をもった天才は現れませんでした。外国の優秀な人たちと議論していると、ときどき、「自分の思考はなんと浅く、表面的なのだろう」と気づかされることがあります。それは、多分、文化と言う真綿で無意識のうちに自分を縛るような教育が、根本的な原因なのではないでしょうか。
 さて、パスカルの計算機は、歯車式、手動の、十進法計算機でした。これを改良し、進歩させたのがドイツの数学者であり、哲学者でもあったライプニッツが考案した機械式計算機です。この計算機の特徴は、数学者であったライプニッツらしく、二進法を応用している点です。詳細な理由は分かりませんが、掛け算や割り算の計算機構を簡単化できる性質を利用したものと思われます。二進法の計算機は、その後、1949年にペンシルベニア大学で開発された真空管式コンピューターのエニアックの登場まで中断します。
 ライプニッツの計算機にヒントを得て、さらに高度な等差数列などの計算をする機械を作ろうとしたのが、バッベージの計算機開発プロシェクトでした。この階差計算機は、見事に成功しました。この成功に気を良くしたバッベージ先生は、入力装置と出力装置、記憶装置と演算装置からなるコンピューターの設計を開始しました。すべて機械式のコンピューターで、「解析エンジン」と名づけました。
 解析エンジンは、複雑な計算を可能とするため、プログラム内蔵方式を採用しました。これは、現在のコンピューターと同じ方式で、提案者のフォン・ノイマンの名前をとって、ノイマン型コンピューターと呼ばれます。ただし、バッベージ後の数学者は、チューリング機械と言う架空の計算機を作り出し、その計算機を動かすプログラムを考えるようになっていましたので、ノイマンの発明と言うわけではありません。
 解析エンジンの動作を制御するプログラムは、産業革命で技術革新のすさまじかったジャカード織機のパンチカードにプログラムを書き込み、ジャカード織機の模様を記憶したパンチカードを読み取る機構をそのまま利用し、歯車式演算装置を制御するようなものでした。出力装置には、当時すでに普及していたグーテンベルグの活版印刷機の技術を応用した、自動印刷機を考えていました。
 大変興味深いことに、このバッベージのコンピューターが実際に動くことを証明するために必要なプログラムを作成したのは、有名な詩人のバイロン卿の娘で、ラブレス公婦人の(とは言え18歳ぐらいだったようです)レディー・エイダ・バイロンでした。彼女は、当時の貴族のたしなみでもあり、現エリザベス女王陛下も大好きな競馬が趣味だったようで、複雑な確率計算をバッベージのコンピューターで数値的に計算することを夢見ていたようです。と言うことで、エイダは、「人類最初のプログラマー」の称号を、後世に受けることになります。米国国防総省が1980年代に開発したコンピューター言語のAdaは、彼女の名前をとったものです。
 バッベージの突拍子もないアイデアは、実現しませんでしたが、その100年後、アメリカ人のハーバード大学教授であったエイケンは、IBM社の協力を得て、電気式コンピューターであるマークIの開発に成功しました。これは、当時、電話機の普及で信頼性が素晴らしく向上した、電話交換機の部品として利用されていた、電磁リレーで動くコンピューターでした。
 ヒットラーのナチ政権下でも、暗号解読を目的として、電気式コンピューターの開発が進められ、ツュースが特殊な電磁石を使ったコンピューターの開発を行っていました。ツュースは、敗戦後もひっそりと自宅のガレージで、コンピューターの開発を進め、Z3と呼ばれるコンピューターの開発に成功しました。マイクロソフトのビル・ゲーツ氏も1990年代の中頃、生前のツュースを訪問しています。
 戦後の日本でも、東京大学理学部の故後藤英一先生が理化学研究所において、パラメトロン計算機を開発されました。これは、コンピューターの記憶素子として利用されていたフェライトコア(磁性体の輪)に銅線を巻きつけたもので、電流を流す方向によって論理素子として動作させることができる性質を利用した、日本独自のコンピューターでした。この原理を応用した商用コンピューターは、日立製作所が量産し、一般に販売されました。
 これらのコンピューターも、デ・カルトやパスカルや、バッベージらによる、何百年にもわたる研究成果がなければ、生まれることはなかったでしょう。日本でいえば、鎌倉時代や戦国時代に、世界では、このような突拍子もない、非現実的な、ある意味で「ばかげた考え」を持った人々が、複数いたことは驚きです。また、彼ら、彼女らのような人々が生まれなければ、今日我々が当たり前のように利用しているインターネットは、存在すらしなかったでしょう。
 ところで、バッベージのコンピューターも、前回に筆者担当のコラムで紹介した「豊かさの誕生」で主張されているように、1820年ごろの話であることは、単なる偶然のいたずらでしょうか。
【プロフィール】 大場 充(おおば みつる)
1949年 東京都生まれ
1973年 青山学院大学大学院修士課程修了(理工学研究科)
1974年 日本アイ・ビー・エム株式会社入社(製品保証)
1982年 同 東京基礎研究所(主任研究員)
1984年 同 東京基礎研究所ソフトウエア工学担当マネージャー
1990年 米国IBMエンタープライズ・システムズ出向(副主幹研究員)
1993年 日本アイ・ビー・エム株式会社SE研究所(副主幹研究員)
1994年 広島市立大学情報科学部教授
経済長編読物
『「構造改革で経済回復」 経済同友会・北城代表幹事が会見』
(4月18日(水))


 経済同友会の北城恪太郎代表幹事は17日、退任を控えた最後の記者会見で「構造改革を支持する意見表明を続け、日本経済は回復した」と述べ、郵政、道路公団の民営化など構造改革推進を一貫して支援した4年の在任期間を振り返った。
 24日の同友会総会で任期が切れる北城氏は「2003年4月の就任時は日経平均株価が8000円を割り込み、日本経済は不安に包まれていた。だが『夜明け前が一番暗い。明けない夜はない』と思い、改革を継続すべきだと考えた」と就任当時の心境を語った。
 持論の産業のイノベーション(技術革新)推進では、担い手を育てるために、企業経営者が中高生らに直接経験、知識を伝える学校訪問に力を入れ、教育改革に成果を挙げたと強調。しかし、技術革新の原動力となるベンチャー企業を支援するエンゼル税制拡充は「まだ十分ではない」と反省し、次期代表幹事に就任する桜井正光リコー社長に実現を託した。
 昨年5月には小泉純一郎首相(当時)の靖国神社参拝が日中関係を冷え込ませているとして、事実上中止を求める提言を発表し、波紋を広げた。北城氏は「近隣諸国との良好な関係を維持することは日本の将来の発展に重要だと考え、意見を出した」と回顧した。
 安倍晋三内閣への注文では、持続的な経済成長を実現する政策の具体化を求めるとともに、今後の政策課題として地方分権、行政改革、年金改革などを挙げた。

経済サロン 中国新聞ビジネスインタビュー
『受像機も値下がり、地デジ普及へ弾み』
    総務省中国総合通信局長 安村幸夫氏
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